龍のひげについて
この地の歴史
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この龍のひげの地は鎌倉幕府の時、源頼朝の側近で四天王の一人と言われた侍所別当 和田義盛公の陣地でした。 侍所別当とは、現在の警視総監に当たる役職です。 一番西の砦である義盛公の陣地は、平塚の岡崎氏 真田神社のある真田氏と義盛公の従妹達が守っていました。 そして、「いざ鎌倉」と、頼朝の号令がかかるまで、畑を耕し、山に潜む猪や鹿を取り、食し、野山を駆け巡り体を鍛えておりました。
この地に龍のひげを構えたのは豊かな温泉が湧いていたことと、弓矢に使う矢竹が豊富に取れた為と思われます。
和田一族は屈強のつわもの揃いで多くの手柄をたてており、小田原の北条氏に敗れるまでこの地を治めておりました。この近くの 西光寺には、和田家の墓もあります。(義盛公のものはありません)ロビー内の展示、玉兎の盃は和田義盛公と曽我兄弟がお酒を酌み交わした盃です。 曽我氏は現在の小田原にある曽我の梅林で知られる地に住んでおりました。
「いざ鎌倉」の時、馬に乗り半日で駆けつけたと言われております。
龍のひげの歴史
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丹沢山麓にあたる当地は沢山の湧水に恵まれており、昔から温泉が湧いておりました。 龍のひげは大正7年、三井財閥の御寮(別荘)「平塚園」として始まりました。
当時、平塚 大磯には政治家の別荘が数多くあり、政治の舞台裏として活発に活動していました。その為、三井財閥が平塚の奥座敷であり、温泉の湧く(鶴巻)和田義盛公の跡地に大切なお客様を接待する為に建てたのが始まりです。小田急線が引かれる前の事です。